過去の公演 2004-2009

 

■  2009  語り 「絵姿女房」  ドラマ 「夕鶴」

見るなと妻に言われていたのにもかかわらず、
その機織っている姿を見てしまう夫。
妻は高い世から舞い降りてきた鶴の化身。
しかし、こころの成熟を遂げないうちに、
人は高い世を見てはいけない。
夫は、まだその境を超えることはできない。
そもそも、わたしにとって、あなたにとって、
「高い世」とは何なのか?わたしは、あなたは、
その高い世を本当に見たいのか?
そして、わたしにとって、あなたにとって、
その世を見るための、こころの成熟とは
いかなることなのか?
この「夕鶴」というドラマは、現代を生きている
わたしの内に密やかに息づいている憧れと、
また同時に眠りこけているわたしの意識のありよう
を、夫「与ひょう」の姿を通して描ききっている。
願わくば、このドラマが「わたくしの中のみんなで
あるやうに、みんなのおのおののなかのすべて 」
として、成立することを。

 

■奈良公演
2009年12月11日(土) 開演14:00
奈良教育大学 山田ホール

■大阪公演
2009年12月23日(水) 開演14:00
大阪市立住吉人権文化センター

奈良公演後援 日本教育宇宙学会

◆出演(五十音順)
佐野 孝代
諏訪 耕志
諏訪 千晴
花岡 宗憲
吉田 史子

◆音楽     Uwe Walter(ウベ・ワルタ)
◆演出     諏訪 耕志
◆舞台監督  塙 狼星
◆特別出演  「空堀ことば塾」子どもたち

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永遠なるものにして女性的なるもの
この身体は父と母からいただいた。そして土へと帰っていく。しかし「こころというもの」はどこから来てどこへ行くのだろう。こころというものは、地にある故郷ではなく、天にある故郷からやってきて、またそこへと帰っていくのではないか。故郷、ふるさと、というと、人はなぜか母のことを憶い出す。必ずしも実在の母ではないかもしれない。ふるさと、そこでは人という人が宿り、生まれ、育まれ、守られている。そこは「母なるもの」が息づいている場所、「母の国」と言ってもいい。人のこころにとっての母の国、それは天にあるのかもしれない。そしてそこから、『夕鶴』のつうはやってきたのかもしれない。母の国からの使者、母なるもの、「永遠なるものにして女性的なるもの」として。すべてを生み育む母たちは、織りなしつつ生きている。そしてつうも、機を織ることによってこの地上世界に何かを生み出している。しかし、人のこころはいつしか母の国、母なるものに目を向けることを忘れ、母たちによって生み出された「ものごと」に固執するようになってしまう。

しかし、この地上のものは、人も、ものも、何もかもが、生じ来たっては過ぎ去って行く無常のものだ。この無常感に人は耐えられず、様々なものにしがみつこうとする。常なるものに触れること、永遠なるものとひとつになることによってのみ、人は安らかさと確かさと健やかさを取り戻すことができる。あらゆる宗教、芸術、科学はその具体的な方図をなんとか見いだそうとしている。それが人の歴史だ。
ゲーテが『ファウスト』の幕切れにこう書き記している。

なべて過ぎ行くものは  比喩に過ぎず。  地上にては至らざりしもの
ここにまったきものとして現われ  およそ言葉に絶したること  ここに成就す。
永遠なるものにして女性的なるもの  われらを彼方へと導き行く。
(柴田翔訳)

彼方とは死の国であるが、そこは同時にすべてが生み出され織りなされるところ、生のおおもとの国でもある。そこに人を導くものは「永遠なるものにして女性的なるもの」だとゲーテは生涯最後の作品の最終部に書き記した。

わたしたちはこの世に生きている。しかし、この地上の人生の毎日をどう、生きているだろう。果たして、過ぎ行くものを過ぎ行くものとして知りつつ、永遠なるものに触れつつ、おのれ自身が永遠なるものとして毎日を生きていくことはできるだろうか。この地上の国と母なる国とはひとつになりえるだろうか。その導き手である「つう」とともに暮らしていくことがわたしたちにはできるだろうか。「つう」に去られた今、わたしたちはその暮らし方をあらためて学ぼうとしている。

「ことばの家」 諏訪耕志

 

■  2009 「メルヘンに耳を傾けてみませんか」

人のこころを慰め、潤し、活気づけるメルヘン。
それは、人から人へずっとずっと
語り継がれてきたもの。
そんな小さな物語を三つ、
グリムメルヘンからお聞かせいたします。
ピアノの調べとともに、
どうぞひと時をお楽しみください。

◆演目・出演

「おおかみと七匹の子やぎ」  佐野孝代
「へんな旅芸人」  諏訪千晴
「いばら姫」  花岡宗憲

◆音楽  清水香織

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■大阪公演
日時:2009年3月21日(土) 13:30開演
会場: 浪速 高津宮「富亭」 (tel 06-6762-1122)

■奈良公演
日時: 2009年3月28日(土) 14:30開演
会場: わらべうたの館「奈良市音声館」 (tel 0742-27-7700)

 

■ 2008  語り芝居 宮沢賢治 「呼吸する世界」

わたしたちが生きているこの世界の深さ、
浅さ。
それはひとりひとりの人間の生き方の深さ、
浅さに対応している。
世界をどう捉えるかは、
ひとりひとりの人に任されている。
宮沢賢治が世界を、人生を、
どう捉えていたか。
語り芝居というスタイルで、
彼の世界観・人間観に
こころから迫ってみたいのです。
この舞台を通して、
現代を生きるわたしたちひとりひとりの
世界観・人間観があらためて見直される
ことを目指して。

 

■姫路公演
2008年11月1日(土) 開演14:00
兵庫県姫路市環境ふれあいセンター

■大阪公演
2008年11月2日(日) 開演14:00
大阪市立住吉人権文化センター

姫路公演後援 姫路こころの事業団

◆出演(五十音順)
伽音 経子
榊 法子
佐野 孝代
諏訪 耕志
諏訪 千晴
乃村 葉子
花岡 宗憲
吉田 史子

◆音楽  吉田 幸平
◆照明  三浦 悟
◆演出  諏訪 耕志

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なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ
宮沢賢治 『農民芸術概論綱要』よりわたしたちは毎日を生き抜いていくために、衣食住といった物的な糧とともに、必ずこころの糧を求めます。こころの糧は本来的に精神からやってきます。精神とは、まことと愛と善きことです。その精神から、こころの糧は得られます。
賢治は、風から、雲から、そのこころの糧を得よ、と叫びました。
風に、雲に、宇宙に、精神は息づいているからです。わたしたちの生きている時代は、どんどん先に進んでいます。しかし、人が人として生きていくパワーとエネルギーを根本的にどこから得るのかということは、時代を貫いて変わらないのではないでしょうか。みずからの恣意を離れ、風が(もしくは神々しい息が、精神が)吹き込んでこられるように、みずからのこころと身体を空っぽにすることができれば、わたしたちは、その都度その都度、生きる底力を湧き立たせることができる。これらのことは、何事も一生懸命に頭で考えて考えて考えている現代人である私たちにとっては、分かりにくくなっていることかもしれませんが、人間の本当に原始的なこととして、皆さんと分かち合いたいと希んでいます。

身体とこころまるごと使ってことばを語り歌う、言語造形という芸術を通して。
覚悟を通して。
「ことばの家」 諏訪耕志

 

■ 2008  言語造形公演  「藪の中」

人間だれしものこころの奥に潜む闇。
わたしたちは、それを、浮かび上がらせたい。
そして、それを、昇華、成仏させたい。

芥川龍之介の傑作を、
語り芝居で、お聴きいただきます。
闇と闇とが、向かい合い、重なり合う。

あなたの闇。わたしの闇。
共に向き合うために。
そこに光が当てられるために。

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■姫路公演
2008年3月20日(木・祝) 開場14:00 開演14:30
兵庫県姫路市環境ふれあいセンター

■大阪公演
2008年3月22日(土) 開場14:00 開演14:30
大阪市立男女共同参画センター 「クレオ大阪中央」

姫路公演後援 姫路こころの事業団

◆出演(五十音順)
伽音 経子
榊 法子
佐野 孝代
諏訪 千晴
乃村 葉子
花岡 宗憲
吉田 史子

◆音楽  吉田 幸平
◆演出  諏訪 耕志

 

■ 2005  言語造形公演  宮澤賢治 ~語りと抒情詩と音楽と~

どんなものでも いのちは 悲しいものなのだぞ
宮澤賢治 「雁の童子」

賢治の創造した物語、短歌、詩が、言語造形と音楽により、新しく立ち上がってきます。

■大阪公演   2005年8月24日(水) 13:00
@「シュタイナーの世界」展 @ふれあいみなと館

■奈良公演   2005年8月28日(日) 13:00/16:30
@アートサロン空

◆出演
言語造形家: 鈴木一博 ・ 諏訪耕志
音楽     : いいだむつみ

 
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◆演目
語り「雁の童子」
抒情詩「林と思想」
抒情詩「高原」
短歌二首「原体剣舞連」
抒情詩「原体剣舞連」
抒情詩「くらかけの雪」
抒情詩「春と修羅」

●「雁の童子」について        諏訪耕志

(雁の子、雁の子雁童子、空から須利耶におりて来た。)物語「雁の童子」のなかの一節です。
そもそも子どもはどこからやって来るのでしょうか。昔から、子どもはこうのとりに運ばれてくるというような言い伝え、語り伝えがあります。
子どもの魂は、鳥に運ばれて、もしくは鳥の姿となって父母の元へとやってくるのだという親のことばを子どものとき、私は素直に受け止め、胸にその絵姿を抱いていました。
そして私も子ども時代を経て思春期を迎えて、そのような絵姿を完全に打ち消してしまうようになってしまうのですが、今この物語を語ってみて私は改めて、子どもは空から降りてくるのだという絵姿を喜ばしくそして厳粛に受け止めています。
そして空から降りてきた人は、この世を生き、この世を去って、どこへ行くのでしょうか。
人は、この世に生まれ、人と出会い、人と別れ、この世を去ります。
しかし、本当に、別れてしまうのでしょうか。「雁の童子」。この物語は、何気ない語りのなかに、人というもの、いのちというもの、人の運命(さだめ)、生きることの法則というものの底知れない深みを潜めています。
私は、この物語を、自らが生きていく人生のなかで、何度も何度も反芻することでしょう。

●音楽について     いいだむつみ

宮沢賢治の作品に接していると、その物語や詩からさまざまな音が現れては消え、
消えては現われます。
それは賢治の表現が豊かで、計り知れないほど深く、
さらには人智を超えるところがあるからかもしれません。
現われては消え、消えては現われるものを探しながら、
賢治の作品に問いかけ、対話をくり返し、そうして音(音楽)がうまれました。

 

ひとり語り 樋口一葉作「わかれ道」

広島公演では、小野結実さんのライアー演奏。
奈良公演では、フランスシター奏者・いいだむつみさんとのコラボレーションです。
小野さん、いいださんが奏でるその響きは、祈りにも通じ、
舞台を日常のなかの非日常空間、聖なる空間へと変容させてくれます。

■広島公演   2004年11月20日(土) 20:00 @Holistic Living Space ZION
■東京公演   2004年11月23日(火・祝) 14:00 @ 北沢タウンホール
■奈良公演   2005年4月29日(金・祝) 13:00/16:00 @アートサロン空

◆出演      言語造形家: 諏訪耕志
音楽(広島): 小野結実
音楽(奈良): いいだむつみ

●「わかれ道」について      諏訪耕志

明治二十九年(一八九六年)秋、一葉は肺結核のため、二十四歳の若さでこの世を去りますが、この作品はこの年の始めに発表されました。
それぞれに孤独な境涯を背負って長屋へと流れついてきた二十あまりのお京と十六の吉三。二人の恋愛ともいえない恋愛を通して、一葉は人の運命、さだめというものに対する希望、あきらめ、嘆き、夢、儚さ、怒りを、色濃く、色淡く描き出しています。
それは、一葉自身が引き受けざるをえなかった自らの人生の様々な明暗に、強く深く裏打ちされています。

一葉のことば使い、それは当時の文学作品の中でも、幾分古風なものでした。
万葉から始まる歌、和歌、そしてあらゆる古典文学に対する教養を特に最後の一年間に充分に消化、吸収し、独自の文体、ことば使いとして開花させたことによって、彼女の作品は今も読み継がれています。
百年以上前に生きたひとりの女性の手を通して書き記されたこれらのことば。
それらが、語りを通して、今を生きる私たちにどんな力で、どんなリズムで、どんな間合いをもって、響いてくるでしょうか。

●音楽について       いいだむつみ

時代に翻弄され、それでも尚したたかに己の「生」を生き抜いた明治の人々。
その魂を現代(いま)に生きる我々が知ろうとしても、とうてい計り知ることはできません。
一葉の世界から吐き出されてくる音なき音をただ、ただ自己を無にして掬い取る。
それは、他でもない私の魂が還る作業でもありました。
導入はフランスシターの作曲家、ジャック・ベルティエの「小さな子どものように」。
以下の曲は「わかれ道」から生まれた、いいだのオリジナルです。